ネパール渡航前日からカトマンズへ(4月4日〜4月6日)


渡航前日(福島空港から関空へ)

4月4日 福島空港を 午後6時25分発 日本航空で大阪伊丹空港へ出発
座席について、いよいよテイクオフ。
少しの不安と緊張からか、動悸が激しくなる、小平さんには内緒だったが。(内緒ね)
明日の事と、初めての海外でかつ、知らない土地:ネパールに行くんだもの...。
午後7時30分大阪伊丹空港へ、タッチダウン、ここ数年飛行機に乗ってなかった
ので、気分が優れない。
伊丹空港から関西国際空港までは、直行バスで1時間ほど(費用1700円)
高速は大阪環状まで混雑していて、まるで首都高速と同じ状況であった。
関西国際空港は、漆黒の海に浮かぶ大きな光の島のようで感激。
ホテルは、少し奮発して ホテル日航に泊まる。
夕食は、明日から日本食としばしの、別れのつもりで日本食を食べて、Eメールも日本最後の夜と思い
ML(ラジウムML)にメールをだす。
何故Eメールかと言うと、ネパールで、ブロバイダーがあってI−NETできるかもと、MACを持って行った。
興奮して夜更かし気味....。


渡航当日(関空からカトマンズへ)

4月5日 いよいよ出発当日の朝を迎え、朝食も日本食(粥定食にしたが、これは失敗)とする。
ネパール出発は午後1時、空港内散策と日本円をUS$に換金(1ドル138円)。
そわそわ、ドキドキ(出発時間が迫るにつれ心臓ドキドキ)、どうなるかな、
10時30分から搭乗手続きが始まった、おお!、ネパールに行く人達が一杯いるぞと、
思いながら列に並ぶ、ふと視線を感じたので見るとネパールにいく外国人(ネパリ?)
が、我々を見ていた(これは関空、飛行機内、ネパールでも同様であったが)。
カウンタで荷物を預けるとき係員から割れ物は有りませんかの問に、
あ、お酒が入ってますと、バカ正直に申告したら、割れた場合の保証が発生しますよの、
言葉に大あわてで、荷物を入れ換えるチョンボをしてしまった。
搭乗手続きを終了し、出国検査へ(入出国カードを記入<日本人用、外国人用の2通りあり>)
無事通過、後は免税店で買い物(タバコ、お菓子、日本酒、おつまみなど)。
 ネパール持ち込みはタバコ1カートンと情報誌にはあるが、ネパールではノーチェックだった)
待合い室で待機(あ、ビールを飲んだ、酔えば不安もなんのその)。
12時30分いよいよ飛行機へ、う、ちっけない(小さい)、この飛行機はと
小平さんとコソコソ内緒話(福島・大阪の国内便の方がでかい)。
スチュワーデスの服装はサリー、思わず異国に来たのかと!、まずはナマステ挨拶。
当然喫煙席(最後尾:ロイヤルネパール機は後部5列が喫煙席)であるが、狭い
これに座って9時間もと思うと... であったが、行ってからのお楽しみが待っている。
1時ちょうどB757−200 RA412(関空ー>ネパール便名)はテイクオフした。
離陸後1時間ほどして機内食(軽食との事だが多かった)とアルコールを頂く。
2時間ほどで、トランジットのため上海へ、飛行機から一端待合い室へ、
用をたす、小ですよ(大の方には紙が備わってません、外についてます)
到着(日本時間3時20分、上海時間2時20分)、出発(日本時間4時20分、上海時間3時20分)。
ここで、上海からネパールに行く、上海の人達が乗り込む(約20名ほど)
服装・動作から、私と同じく初めての海外渡航ではないか推測(私の隣人から)した、
暫く経つと、又機内食が出る、スチュワーデスからコーラをもらったとき、水滴が
隣人に落ち、すみませんと謝った(ソーリーと言った)のをきっかけとして、
私としては、初の英会話挑戦が!(隣人は日本語、英語ともダメでした)のはずっだのが
なぜか、漢字記述による会話となってしまった....。
私は会話のチャンスを作ったが、いざ会話となると?だった(やっぱあっぽだ)、しかし
さすがは年の功(ゴメンして)の小平さん:漢字記述で友達してる。
何やかんやとしている内に時間はあっと言う間に過ぎるのであった。
機内のアナウンスは、ネパリ・英語・日本語の3カ国語でされ、不便さは感じられなかった、
最後には、必ずダンニャバードで締めくくられる。
5時間後、アナウンスがあり、カトマンズ上空に、あれ!暗いな(1200万の人口の割りには)
と、小平さんと外を眺めながら、私は騒いでましたが、小平さんは不安げでしたね。
カトマンズは雨が少し降っていた、トレヴァンヌ国際空港は、表から見ても暗かった、
(予備知識で、電力事情が悪いと聞いていたので、やっぱりそうだったのかと一人合点)
タラップをおり、ネパールに来たんだと実感が湧く。
空港内で手続きを済ませ(VISAは日本で取得)、税関へ(申請せず、緑の出口へ)、
あとは荷物だけと待っていたとき、ふと迎えにきてるかなと、不安になる。
絶対来てるよと、小平さんが!、あれ私がでしたっけ?。
荷物を取り、出口へ、目の前に人だかり(タクシー・荷物運びなどの人々いっぱい)
の中に友人の出迎え(パパ・レナさん・エリさんの三人)、私嬉しさの余り顔が崩れる。
大人は荷物を持とうと引っ張り、子供は車に寄ってきてxxx(意味不明)とほざく。
それを友人達が追い払う(そう見えただけかもしんない)。
挨拶もそこそこに車に乗り込み、ホテル(ネパールでは超高級)へ。
町の明かりが暗いので、訳を聞いたら、ストライキ(役人がどうたらこうたら)の答?。
夕食はファミリーの経営する日本食店(味のシルクロード・カトマンズ店)へ行き、
ビア、串焼き、胡麻和え、味噌汁などと、まさかネパールで日本食とは驚いた、
レナ達にして見れば、我々がいきなりネパール食では可哀想(?)と思ったのかもしれない。
ネパール初日はこんな具合で終わちゃった。

初日(カトマンズのファミリーへ)

ネパール1日目 4月6日 晴のち小雨(すぐやんだ)
なぜかよく目を覚ます、現在午前6時(両名とも起きてしまった)
朝食の前に、ちょっとだけ回りを散歩、時間が長く感じられる。
ホテルに戻り朝食(15$)、会社に国際電話 2分で460RS(1RSは約2.48円)
朝食後メインストリートを散策
ネパール王宮(ネパールは王国だ、国王がいる)の前でパチリ。

ストのため店は閉まっている(個人営業は開いていたが、初体験のため入らず)。
カトマンズは人が多く、なんじゃこりゃ東京と同じじゃないかと顔を見合わせ、二人でうなずく。
と、午前中は散歩に明け暮れる。
昼食はどうしょうと、レナに電話する(市内5RS)、パパさんが歩いて迎えに
来てくれた(ストで車使用禁止だった)、30分程歩いてパパさん宅につく、
この間ハプニング3つあり、
 1:途中で雨が降ってきたが誰も気にしてない(わしら二人だけ)
   すぐ止んで暑くなって乾くからとパパ回答。
 2:道路に牛が一杯、放し飼い(神様とは言えなんとも言えない風景)
   痩せているし、ゴミを漁っていた。
 3:英語が通じなかったのか、説明不足だったのか分からないが、
   小平さんと別行動の予定だったのが何故か私に付き合う羽目になった。
パパさん宅は周りと比較するとかなり大きくて、PRAJAPATIファミリーが
同居していた、全部で25人ほどの大家族。
食事はダルバード(ネパールの家庭料理)で
魚とポークに肉団子・ダル(豆)スープ、
トマトと小魚の辛いソースをバード(ご飯)
に混ぜて、手(右手)で食べた。
初めての体験で、上手には食べれなかった。

食後ネパールの結婚式を録画したビデオを見る、ネパールの結婚式は(種族にもよるが)3日間行われ、
1日目は新婦宅で新婦のファミリーによるお祝い(新婦にプレゼントが渡される)、
2日目は新郎が迎えにきて、儀式(結婚式)とお祝い、
3日目は新郎宅でお祝い 各日とも昼から夜中まで宴会です、大変そう。
夕方、パパさんがネパールの家庭酒ロキシー(フルーツから作る焼酎の様なもの)
を飲ませてくれ、帰るとき1本お土産に貰った。
夜6時頃、別な友人宅に歩いて行く(40分〜50分)
映画のプロデュサーのお兄さんと女優のお姉さんと子供二人とブラザーが
同じアパートにすんでいる、ここでレナパパから貰ったロキシーを飲んでしまった。
午後9時30分ぐらいまで宴会をして、ホテルまで送って貰った。
今日は歩き疲れたので10時過ぎに寝る。

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Modify 08.Jun.1998
Present By 釣りキチ

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