ネパールの王様の写真どこの家でも必ず、飾ってある


ビラトガナルは、カトマンズからバスで約14時間、ネパールの東部地方もう少しでインドのせいか、4月なのに日中は35度以上にもなる、空気が乾燥しているので、ジメジメした暑さでは無いが、肌を刺す暑さとはこの事を言うんだろうな、私がお世話になた、ブラドキフアミリーの家はビラトガナルの郊外、藁吹き屋根や汚い家が多い中(失礼)、奇麗なたたずまいです。日本とは違い何と一日の長い事、時間が全然進まないんです。ここの心温かいフアミリーの家に、二週間以上、滞在させて貰いました、日本に痩せて帰ったら、私達が恥ずかしいからと、毎日ご馳走攻め、お陰で、5キロも太って黒豚
になってしまいました。




私が、毎日おもちやにして遊んでいたサスチカベイビーと従姉妹の大学生のスタンホアラ、この赤ちやんは、めちやくちやかわいかった、日本に持って帰って良いですかって言ったら、ママさんがバック貸そうかだって、まだ生後8ヵ月なのに体重が20キロ近くもあるんだもんねっ、早速あだ名を付けた(ジヤイアント.パンダ)私がビラトガナルにいる間、ず〜と、家族はパンダベイビーって言ってました。そんでびっくりしたのはネパールの赤ちやんは”おしめ”をしない、うんちもおしっこもそのまま、私は2回ひっかけられた、うわ〜汚いって言ったら
家族なのに、どこが汚いって、怒られた、俺、家族なの?パパが、日本の息子って言って、、近所に話して歩いているよ、道理で近所の人(見物人だったのか、俺は見世物か?)が、毎日いっぱい来るなと思った、三日目に
来る人が色々と、私に話しかけてくるので、今まで、通訳はエリーに任せきりだったが、これはネパール語を少し覚えねばと本気で思い、ボデイランゲージと、片言の英語で汗をかきながら来る人来る人に話す、人間本気になると、結構覚えるもんだと、自分に関心した、近所の”くそがき”タパ少年が学校の帰り、私のネパール語の先生になり身近な物から教えてくれた、デスワン、ラムクッテイ(蚊)デスワン、ジンガー(蝿)てな感じで、始めは生意気な”くそガキ”と思っていたのに、タパ君ごめん、でも割りばしの作り方教えたから、かんべんしてねっ...虫で思い出しました、日本では見られなくなったライトキラー(ほたる)が夜になると、当り一面飛んでいて、日本を思い出してしまったネパールにも、ほたる、がいたんだ、つう〜ことはここはカトマンズよりも
汚染が進んでいないんだ、でも、井戸水がものすごく、鉄臭い、試しにボイルしたら、赤い鉄の沈殿した物が、鍋の底に一センチも溜まっていた、何とかせねば、いくら鉄分が体に良いとは言ってもこれでは取りすぎだ、


ジヤイアントパンダのママギタさん、美人でお料理が、とても美味しかった、でも、死ぬほど食わされてプギヨ(もう結構)と、何回言っても、笑いながらダリバードのおかわりをこれでもかこれでもか、と皿に盛って来る、日本語でギタママを、鬼っと言ってしまった、後で考えたら、日本とネパールでは首の降り方がまるっきり反対で私は首を横に、一生懸命動かしていたんだ(もっと、もっとの意味だった)後、一週間したら、旦那さん(ビノドさん)がカトマンズから、ビラトガナルに来って、言って喜んでいた、私も、カトマンズで一度会っているから、何となくうれしい。ネパール人は言うことがころころ変わる、次の日の朝、5時にカトマンズからオンボロバスに乗って来た、朝、ビノドさんに、日本の兄弟グットモーニングを連呼され言って叩き起された。

朝方6時、のどかな風景、エリーが顔を洗っている、写真のアングルが誠に良いと思います。ここでは、女の人は、まだ男の人が起きない内に(人に、肌を見せるのを大変に嫌う)朝、シヤワー室でシヤワーを浴びるんですね(お湯で無く水ですから)いくら、インドの近くで暑いとは言っても、朝方は15度位、涼しかったです。 裏の畑で、絞りたてのミルク毎日飲ませて貰っていたが、まさか、バッフアローのミルクとは思いませんでした、後のまつり、でも結構濃くて美味しかった....わし、よっく考えたら、ミルクって飲めなかったはずなのに、いつのまにか飲める様になっていた。

まとめ

本日はここまで。